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想いを大切にして、不可能も可能に。新卒入社から取締役就任に至った24年間の恩をこれから全力で返していく

2021年6月に新たに取締役となったのは、新卒でプラザクリエイトに入社して以来、24年間プラザクリエイトと伴走してきた中村守宏。店舗の運営や開発、SV業務、人事など、多方面で活躍してきました。「与えられたチャンスに精一杯応えようとしてきただけです」とおだやかな表情で振り返る中村が、24年間という時間の中で重ねてきた挑戦の数々、そして醸成された仕事観とは? 今回のインタビューでは、中村のプラザクリエイト史をひも解きました。

中村 守宏(なかむら もりひろ)
取締役/財務/総務/人事 管掌。1997年に新卒でプラザクリエイトに入社以来、勤続24年。2021年6月から現職。これまでに店舗開発や直営店・FC加盟店の運営、人事など幅広い業務を経験。人事部では評価制度の大幅な見直しを行うなど、幾度となく会社の変革期をリードしてきた。プライベートでは、趣味の音楽鑑賞を楽しんでいる。

※掲載されている情報は、公開日2021年8月10日時点のものとなります。

熱く語る大島社長の話に聞き入って気がつくと2時間。直感を信じて入社したプラザクリエイト。

ーー改めて、取締役就任おめでとうございます! まず、中村さんが新卒でプラザクリエイトに入った理由を聞かせてください。

今となれば運命なのかもしれませんが(笑)、プラザクリエイトとの出会いは偶然だったんです。

就職活動時、飲食に興味があった私は、カフェを運営している企業がたくさん出展している合同企業説明会に出かけました。会場についてみると、そこにプラザクリエイトのブースがありました。気になって立ち止まり、一体なんの会社だろう? と不思議に思っていると「プリントショップやオンラインサービスなど、いろんなビジネスができる会社ですよ」と声をかけられたんです。直感的におもしろそう!と思い、話を聞くことにしました。

すると説明会では、大島社長が事業に対する想いを熱く語っていたんです。思わず聞き入ってしまって、気がつくと2時間が経っていました。すっかり魅了され「絶対、この会社に入りたい!」と思ったんです。直訳すると「広場を創造する」という会社名も魅力的で、そこから広がる壮大な可能性を感じました。

ーー大きな希望を抱いての入社だったんですね。新人時代は、どのように過ごしたのでしょうか。

では、ちょっとタイムマシーンで時間を戻りますよ(笑)。時は1997年4月、入社してすぐ、パレットプラザ2店舗の店長になりました。初対面のスタッフさんに「店長の中村です。あ、ちなみに今日入社しました!」と挨拶したのを覚えてます(笑)。

直営店を担当して3か月後、手を挙げて店舗開発部へ異動しました。プラザクリエイトではその頃、「2000年までにパレットプラザを2,000店舗つくる」という目標を掲げ、店舗数を急拡大していたんです。私も会社の大きなミッションに貢献したい! と思い、立候補しました。

ところが、担当したエリアが地域柄、出店がむずかしい場所で。エリアのせいにしてはいけないのですが、なかなか出店することが出来ず、溢れるやる気もむなしく、同じように異動した同期たちが出店を成功させるのを横目に、辛い時期を過ごしましたね。それでも「今の自分にできることをやろう」と決め、出店の準備をしながら、全国の店舗開発に役立つ資料づくりに励んでいました。すると次第に道は開け、出店が軌道にのっていきました。

目の前の仕事に全力投球してきた結果、仕事の幅がどんどん広がっていた

ーー店舗開発の次は、どんなキャリアを歩みましたか?

2001年、当時の重要テーマは、オープンさせたお店の売り上げをつくることでした。そこで、今度はスーパーバイザー(SV)業務にチャレンジすることになったんです。フランチャイズのオーナーさんたちに対して経営のサポートをしたり、施策を考えたりする仕事ですね。

東京エリアの担当からスタートしましたが、次第に守備範囲は広がり、埼玉、神奈川、群馬、栃木、静岡、長野のお店も見るように。高速や新幹線に飛び乗っては、各地に足を運んでいました。

そんな忙しい毎日を過ごしていた2008年、上司から「首都圏以外にも経験したほうがキャリアに深みが出るよ」とアドバイスをいただき、今度は東北でSVをすることになります。

首都圏に比べると人口規模が小さい東北では、来店者数を増やすため、いろいろな努力をしましたね。ガラポン抽選会をやったり、ショッピングセンターの店内マイクを借りて、アナウンスをしたり。多いときは30分おきに「ただいま、デジカメプリントセールを行っております! 100枚以上ご注文で、〇パーセントオフです~!」ってアナウンスをしていたんです。その効果で、プリント注文や証明写真の撮影でお客様が途切れない日もありました。

マイクを握ってお客様への呼びかけをしていると、ショッピングセンターの店長から「きみ、熱くていいね!」と声をかけられたり、パートさんから「がんばってね!」とお菓子をいただいたりしました。そんな温かい方たちに支えられながら、無我夢中で駆け抜けていましたね。

ーーお話しする姿から、充実した日々だったのが伝わってきます。東北での経験を経て、次はどんなチャレンジをしたんですか?

東北での経験を経て、2009年に首都圏営業部の部長として東京に戻りました。そのとき会社が力を入れていたのは、直営店の運営強化。私も力になりたいと、現場で店長やクルーたちと一緒に奮闘したんです。

恥ずかしながら、当時の成績は上のほうではありませんでした。でも、なにか1つ抜きんでたものをつくって、メンバーに成功体験を積ませたいという気持ちがあって。キャンペーンに力を入れ、表彰台に乗ることを目指しましたね。

入社から12年が過ぎていたこの頃には、いい時も悪い時も、フランチャイズも直営も、首都圏も地方も、一通り経験をしていたんです。幅広い経験を通じて、いつのまにか自分のスキルの幅は広がっていました。

懸命に想いを伝え、不可能を可能に。相手のことを考えて一緒にゴールを目指す

ーー幅広い経験を積まれた後、次はどこを目指したのですか?

12年の時を経て、新人時代に所属していた店舗開発部に戻ったんです。

2011年のある日、「中村、また一緒に、店舗開発をやろう」と、当時の上司が声をかけてくれました。一瞬、私で役に立てるんだろうか……? と不安がよぎったのですが、せっかく差し出してくれた手を、握り返したいと思ったんです。「ぜひ、一緒にやらせてください!」と伝え、店舗開発部での第二章がはじまりました。

その頃、プラザクリエイトは写真とモバイルを融合させた新しいショップを拡大していました。写真をスマホで撮る人が増えていたので、写真屋さんでも携帯を販売しようと試みていたんです。私はディベロッパーさんを相手に「今や、モバイルと写真は切り離せません。携帯を売る写真屋は不可欠なんです!」と熱くプレゼンしてまわっていましたね。

2012年、大島社長はPhoto & Moreという新たな業態をつくろうとしていました。従来の写真プリントショップから、写真を通じて、お客様のライフスタイルに合った楽しさを提案する、何度でも足を運びたくなるワクワクするショップに昇華させようとしていたのです。

私も力になりたいと考え、プロジェクトに参画。準備期間はたった3カ月と短い中、外部の方の協力をあおいで、なんとかオープンにこぎつけましたね。

Photo & More第一号店 パレットプラザ二子玉川ライズ・ショッピングセンター店

――たくさんの方を巻き込んでプロジェクトを動かす中で、何を大切にされましたか?
各所と調整することを大切にしていました。お店をつくるのは絶対に1人ではできないので、いろんな立場の方の理解と協力を得る必要があります。たとえ最初はバラバラの方向を向いていたとしても、ビジョンを共有して、少しずつ同じ向きになり、最後は一緒にゴールを目指す。そんなイメージですね。

調整をする際には、相手を主語にして話すようにしています。相手のよりよい未来のため、自分たちがどのように貢献したいのか伝わると、協力を得やすいと思うんです。あとはやっぱり、真摯に想いを伝えるのも欠かせないですね。

1つ印象深いのが、とある大型施設へ出店を試みたときのことです。その施設は集客に課題を抱えていました。私と部下は、プラザクリエイトの独自性高いサービスこそ、施設の課題解決に貢献できると確信。足しげくお店に通ってリサーチし、「施設の力になりたいんだ」と熱いプレゼンをしたんです。

その結果、出店許可をいただくことができました。しかも、より多くの金額で入札を試みた競合企業をお断りしたうえで! 大島社長には「いったいどんな裏技を使ったの?」と聞かれたんですが(笑)、こちらの想いがしっかり届いたことが勝因だったんです。

与えてもらったチャンスには、まず飛び込んでいく。21年目にして人事に初挑戦

ーーそんな店舗開発の日々を経て、今度は人事部へ異動されたとか?

はい。2018年からは人事の仕事をしています。現場経験を活かして人事をしてほしいと打診を受けたことがきっかけでした。

「店舗開発と人材育成はどちらも重要だよ。店舗という箱があり、そこできらりと光る人が働いている。この2つがそろって、はじめて魅力あるお店だよね」。そんな社長の言葉を聞き、今度は人事の立場から会社を支えたいと思ったんです。

もちろん、未経験の職種に不安がなかったわけではありません。でも、会社にとって必要な仕事があって、それをやってほしいと声をかけていただけたなら、精一杯応えようと思ったんです。求めていただけたのなら、まずは飛び込む。そうやって、今日までやってきました。

ーーその積み重ねを経て、今は取締役をされているのですね。24年のキャリアの中で、変わらない仕事観はありますか?

2つあります。1つ目は、サポート役として組織に貢献したいということ。私はどちらかと言えば、前にでるより、裏方としてサポートする方が向いてるんです。迷っているメンバーがいたら背中を押したいし、悩んでいたら一緒に解決法を探したい。そうやって関わりをもった方が飛躍していく姿を目にすると、喜びで胸がいっぱいになりますね。

縁あってプラザクリエイトという広場に集まった人たちが、生き生きと働けるようバックアップしたいですね。この24年間、本当にたくさんの方にお仕事を教えていただき、助けられてやってきました。これからのキャリアでは、私が恩返しをする番だと思っています。

2つ目は旬なものにチャレンジをすること。その時々、会社のフェーズによって重要な仕事、つまりは「旬な仕事」がありますよね。

会社の変革期を肌で感じながらする仕事は、時に大変だけど、おもしろい。変化を受け入れるのはパワーがいりますが、その先で一皮も二皮もむけた自分に出会うことができます。あと、その過程で出会う人たちは、仕事人生を豊かにしてくれます。

組織のさらなる発展を目指す。そのための原動力は、みんなからもらったたくさんの恩

ーー今後の抱負をお聞きかせください。

今期から経営本部として会社全体を見る立場に変わったので、各事業部門が売上づくりや商品・サービスの向上に集中できるよう、サポートしていきたいです。現在進めているクラウド化などを通じ、業務の効率化を図っていきます。経営本部がハブとなって各事業部門と連携することで、そこから輪が広がるみたいに、組織に一体感が生まれればうれしいなと思いますね。

これまで、本当にたくさんの方に仕事を教えていただき、支えられてきました。今こうして取締役という大役を任せていただいているのも、みなさんのおかげだと心から思っています。だから今度は私がみなさんからいただいた学びや恩を返していく番です。そのために、できることはなんでもしたいんです。どんなことでもやっていきたいです。働いているみなさんにはもちろん、お客様、取引先様、株主様、関係するみなさんにプラザクリエイトがあってよかったと心から思ってもらえるような会社にしていきたいです。

プラザクリエイトとの偶然的な出会いから、あっという間に24年。社長は今でもあの頃と変わらない熱量で、プラザクリエイトの未来を語っています。その話を聞くと、私もいまだにワクワクするし、叶えたいことがたくさん浮かびます。描いた未来を見に行くため、チャレンジを重ねていきたいですね。私のプラザクリエイト史は、まだまだ続いてきます!

【編集後記:広報室より】
長年、プラザクリエイトと共に走り続けてきた中村さんのお話は、とても心に響きました。当たり前だけれど、中村さんにも新人時代があって、葛藤した日があって……。でも、1つ1つ積み重ねた先で、現在の取締役としてのご活躍があるとのだと思うと、勇気が湧きました。「まずは目の前のチャレンジに精一杯、向き合おう。そしてその先で、まだ自分さえ想像できないような景色を見たい」。取材後の私たちの心には、小さな野心が灯っていました。

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